「岩瀬文庫所蔵古典籍の完全調査と書誌データベースの完成」
                                                                塩村 耕

 文献さえあれば、過去のすべてがわかる、などと気楽なことを言うつもりはな
い。が、いまの世に厖大に残された古文献の実態の解明について、我々はあまり
に無頓着ではなかったか。手近の古典籍目録を開いてみるとよい。その書目の半
ば以上は、いったい中に何が書いてあるのか、いつ頃書写ないし刊行された書物
であるのか、その成立に誰が関わったのか、書物としてどのような価値を備えて
いるのか、皆目見当もつかない。その中に重大な歴史の謎を解く、秘密の鍵が隠
されているかもしれないのに。ただ、その本に目を通したであろう先人が何も言
及していないから、たぶん何も重大なことは書いていないのだろうと高を括るし
かない。
 日本の前近代の書物文化の特徴を一言でまとめると、雑多な書物がやたらに多
いということである。そもそも書物には大きく分けて二通りのものがあるように
思う。
 一は、序や跋を備えており、第三者、とりわけ後世の人間によって全体像が把
握されるように作られた資料である。これは、個々の本を作った人が後世を意識
したという意味ではなく、そのように作ることが一種の書物としての「型」で
あった。そのような資料を、仮に「書籍的資料」と呼んでおく。一は、第三者、
ことに後世の人によって読まれるという意識が希薄な資料群で、一点一点が固有
の写本であることが多い。仮に「文書的資料」と呼んでおく。日本の古典籍は、
なぜか後者が著しく多い。名もない数多くの人々が、せっせと書物を書き残し、
それを後世に伝えることに後人も寛容であったらしい。日本は、言霊だけではな
い、書のさきわう国であった。
 そのような特殊な国にありながら、現行の古書目録のあり方にはとうてい満足
できない。これではいたずらに書物の死蔵を招くのみである。死蔵はすなわち書
物の死を意味する。そこで世の中に一石を投ずるために、この共同研究を開始し
た(科研費基盤研究(B)(2)、平成一四~一七年度)。目的は、西尾市岩瀬文庫
に所蔵される古典籍、約一万八千タイトル(唐本・朝鮮本・近代和装本を含む)
を、本棚の端からすべて調査し、成立・内容や蔵書印・識語、その他ウツワとし
ての書物の特徴を詳しく書き込んだ、今までにないような記述的書誌データベー
スを完成させることである。幸い、平成一五年四月に岩瀬文庫新文庫館が開館、
それを機に新目録編纂が要請されており、そのための下作業でもあることから、
岩瀬文庫側からは調査場所の確保、出納の業務はじめ全面的な支援を得ている。
 研究組織は近世日本文学を専攻する塩村の外、何れも名古屋大学文学研究科の
日本文学関係スタッフである高橋亨(中古中世文学)・阿部泰郎(中世文学・仏
教神道文献)・榊原千鶴(中世近世文学)の計四名。その外に、根っからの本好
きである鶴見大学の堀川貴司(日本漢文学)がほぼ毎月、調査に参加している。
書誌調査は月に二ないし三回の週末三日間、名古屋大学の院生を中心に、名古屋
市立大学や愛知県立大学の学生も含め毎回七・八名前後が参加して行う。学生に
とって、さまざまな種類の古典籍に直接触れる機会は、通常の大学での講義等で
は得られるものではなく、貴重な体験となったはずで、今後の研究に良い影響と
なって顕れることを願っている。
 調査者の作成した書誌カードないし直接入力したデータは、原本とともに塩村
がすべて目を通して、データベース化している。これはデータベースにある程度
統一した記述を行うためには不可欠なことと思われるが、そのために作業効率は
ひどく悪いものとならざるを得ず、同種の事業において共同研究の限界を物語っ
ている。しかしながら、一人の人間が全てに目を通すことによる発見もあり、こ
の方式の長所短所は半ばするであろう。
 事前調査を含め平成一二年六月に調査を開始、現在(平成一七年八月)調査入
力を済ませたのは一万タイトル強である。これは当初の予定を下回るもので、標
記の研究題目に対して忸怩たるものがあるが、作業進行とともに書誌記述に対す
る考え方が変わり記述要領をより詳しいものに変更したこと、読解や取り扱いが
難しい「文書的資料」が特に多かったことなどの事情による。今後このような事
業を同種の方式で進める際には、年間の処理点数をせいぜい千五百程度までに見
積もる方が、健康のためには無難であろう。
 岩瀬文庫は明治四一年に西尾の実業家西尾弥助が、地元の文化向上と古典籍の
永久保存を期して全国より古書を収集し開設した私立図書館に由来する。その蔵
書内容は、学者の収集のような偏りがなく、空前の活況を呈した明治大正の古書
店店頭をそのまま移したような、雑駁な魅力に満ちている。それのみならず、公
家の柳原家、京の本草家山本読書室、伊勢神宮外宮祢宜松木家、豊橋の国学者羽
田野敬雄など、当時市場に出た上質の旧蔵書群をまとめて入手している。古典籍
の新たな書誌記述を模索する場として、これほど適した文庫は数少ないであろ
う。
 いっぽう、岩瀬文庫は研究者の手のあまり入っていない、いわゆる「ウブイ」
文庫で、調査の過程で種々発見があった。平成一五年度より、そのうちの一部を
毎年度末に岩瀬文庫で展示する「こんな本があった!―岩瀬文庫平成悉皆調査中
間報告展Ⅰ・Ⅱ」と報告講演会を開催、図録も発行している。この展示は、岩瀬
文庫を支えてきた西尾市民への感謝の気持ちを籠めたものでもある。
 たとえば、こんな本があった。『閃鱗之一片』という一写本。例によって、書
名からは内容がわからない。奥書があり、明治四二年に平好彦なる人物が記した
自筆本である。内容は食生活を中心に、明治天皇の日常生活や嗜好、宮中の諸制
度について具体的に記されている。たとえば、酒について、以前は灘の生一本
「惣花」を聞こし召されたが、この頃は専ら「しやとうろーず」という最上等の
葡萄酒を御用命である、などという面白い話題が並んでいる。筆者はどうも宮中
の大膳職の関係者らしい。
 さて、この本は渋で細かい格子模様の入った表紙に大和綴という装丁であった
が、その後調査が進むにつれ、同種の装丁の書物群があることに気づいた。それ
らの資料の多くは、平維盛を祖とする平家正統を称する、伊予国の「中都平家」
左三川氏(塩崎氏とも)の歴史に関するものであった。詳細は不明ながら、平好
彦なる人物は同氏の出身で、この中都平家一族の系譜顕彰に非常なる情熱を傾
け、その資料群がなぜか岩瀬文庫に一括して残っているということがわかった。
 このように個々の資料を見ていたのでは未来永劫にわからないような、資料の
有機的な連関が判明することが、全資料調査の妙味である。資料というものは単
独では寡黙であっても、関連するものが一つでも出現したならば、俄然多くを語
り出す。データベース完成公開の暁には、そのような資料の連関の多くを瞬時に
明らかにすることができるであろう。
 我々のデータベースの詳細については、紹介する余裕がない。岩瀬文庫に先
立って調査を始めた名古屋大学附属図書館神宮皇学館文庫について、同種のデー
タベースを平成一五年四月より公開しているので、そちらを参照されたい(同図
書館ホームページ http://www.nul.nagoya.-u.ac.jp/ より「古典籍DB」に入
る)。どのような形でもよい、このような記述的なデータベースないし書誌目録
が、各地の文庫・図書館で完成公開されたならば、我々は古人の営みの種々相に
対して、格段に進んだ知見が得られるに違いない。歴史学であれ、文学研究であ
れ、真の学問的解明は、そこから新たな一歩を踏み出すはずである。

                                     (名古屋大学大学院文学研究科教授)