@techreport{oai:nagoya.repo.nii.ac.jp:00011076, author = {江村, 治樹}, month = {Mar}, note = {戦国時代を中心とする時代に都市の爆発的な発達が生じたことは、都市遺跡や文献史料によって確認できる。しかし、その都市の発達については、経済的要因を重視する立場と政治的、軍事的要因を重視する立場とがあり、あい対立している。まず、近年の考古学の発達を踏まえて、この時代の都市遺跡の分布と規模を検討してみると、地域的な片寄りが存在することが明らかとなる。河南省や山西省南部を中心とする中原地域では巨大な都市が濃密に分布しているのに対して、その周辺地域では国都の巨大さは別として、その分布と規模はそれほどでもないのである。このような傾向は、出土文字資料や文献史料によっても確認できる。そして、このような地域差は、都市の性格自体とも大きく係わっている。中原地域の都市の発達には経済的側面が強く認められ、その独立性も顕著である。これに対して、その周辺地域では概して都市は未発達で中央集権的に統制される傾向が強い。戦国諸国家および秦漢帝国の性格や命運も、都市のこのような地域的性格の差異を踏まえて明らかにされる必要がある。とりわけ、漢帝国は都市の経済的発達を容認する傾向が強く、その中央集権的官僚制も中原地域の都市のあり方に強く規定されていたと考えられる。すなわち、漢代官僚において顕著にみられる自立性は、戦国時代以来の中原地域の都市住民のあり方を抜きにしては考えられないのである。今後、秦漢帝国の問題を考える場合、都市と官僚制の関係をより重視しなければならないであろう。, 科学研究費補助金 研究種目:一般研究(C) 課題番号:62510192 研究代表者:江村 治樹 研究期間:1987-1989年度}, title = {春秋・戦国・秦漢時代の都市の構造と住民の性格}, year = {1990} }