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未知と驚異の文化史]「驚きは思索の始まり」というアリストテレスの言葉が示しているように、「驚き」は人間を現状満足の停滞状態から前へと触発する起爆剤である。「驚き」は、驚異・奇跡・好奇・奇怪といったように、向かい合う対象の幅が広く、個人の視野を拡大させ、そのように種々に受け止める人間の感性を柔軟にさせる。しかしそれとともに、現状の正当性確認の装置としても機能してしまう。なぜなら「驚き」を欠いた現状が「まとも」であることを再認させてしまうからだ。従来、「驚き」の歴史は、未開・無知から啓蒙へといった単線的進歩史観か、マックス・ヴェーバーのいう「魔術からの解放」という近代化志向、はたまた人間の発見・解明努力を通じた真理の暴露過程、さらには文化格差による一方の文化から他方の文化の抑圧といったといった路線で語られることがほとんどであった。これに対して、博覧強記の科学史家ダストンとパークは、「世界の名著」といった正典化された書籍に基づく「驚き」の記述から逸脱して、これまで読まれず見過ごされてきたテキストを起点にして、退歩・進歩や中世・近代といった二項対立思考がまやかしであり、これらは九重八重に互い折り重なっていることを、多くの図像を用いながら説明する。また、16-17世紀の個人蒐集家や私設博物館を取り上げて、努力ではなく好奇からたまたま「本当」がわかってしまったという僥幸(いわゆるセレンデピティ)の連続を描写することで、「文化抑圧」があるとしても結果的にそうなってしまったのだと暗に諭す。グローバル化が進む21世紀において、多文化との接触が私たちに「驚き」をもたらし、その「驚き」にどのような種類があり、どのような反応が可能で、またその反応がどのような文化的営為と文化形成機能を果たしうるのかを、「驚き」の歴史を学ぶことで考えることにする。", "subitem_description_language": "ja", "subitem_description_type": "Abstract"}]}, "item_11_identifier_60": {"attribute_name": "URI", "attribute_value_mlt": [{"subitem_identifier_type": "URI", "subitem_identifier_uri": 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多元比較表象論ab
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名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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Item type | 教材 / Learning Material(1) | |||||
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公開日 | 2014-02-28 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | 多元比較表象論ab | |||||
言語 | ja | |||||
著者 |
鈴木, 繁夫
× 鈴木, 繁夫 |
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アクセス権 | ||||||
アクセス権 | open access | |||||
アクセス権URI | http://purl.org/coar/access_right/c_abf2 | |||||
権利 | ||||||
言語 | ja | |||||
権利情報 | 本資料は、名古屋大学の教員鈴木繁夫によって作成され、名大の授業Webサイトに掲載された「多元比較表象論ab」(2011)から講義資料のみを登録したものです。 Copyright(C)2011 鈴木繁夫 | |||||
抄録 | ||||||
内容記述 | [前期 : 多元比較表象論A : 印刷術の誕生と文化革命]インターネットは、今の多くの私たちにとっては、公的には場所と時間の制約からできるだけ自由になって共同作業を行っていくための道具であり、私的には好縁を育成し強固なものにしていくための手段と理解されている。意思疎通のためのメディアという考え方は、21世紀に独特なものではなく、西洋では16-17世紀にすでに確立していた。この新メディアは、千数百年続いた筆耕と羊皮紙を介して修道院・大学図書館をインフラとする、顔が見える対面情報伝達文化に取って代わった。こうした歴史的視野に立つと、現に私たちが経験し実際に抱いているメディア観、それに付随する文化のあり方も異なって見えてくる。そしてその次に待ちかまえているのは、では自分はどう考えるかにかかってくる。なぜなら現実の心情としては、発信者のわからない情報の波に呑まれているよりも中世的な小さなまとまりの空間のなかで互いに気心が知れている(と思い込んでいるか、そう思い込みたい)共同性に賛成だが、それに積極的に賛成することには、当為必然が含意されていないからだ。授業では、エリザベス・アイゼンステイン『印刷革命』(原題The Printing Press as an Agent of Change)に沿って議論を展開しながら、こうした図式が成り立っている歴史的背景をさぐっていく。なおアイゼンステインは、歴史を記述する際には、いつも暗黙の内に現代の人間観が肯定されており、「価値中立的な語法」(ロラン・バルト)による「いま・ここ・私」に向かって進む歴史として要領よくまとめている。フーコーの「人間の終焉」や「知の考古学」という視点はまったくない。その意味でとてもおとなしい歴史叙述書になっているので、批判的に読むことが要求される。[後期 : 多元比較表象論B : 未知と驚異の文化史]「驚きは思索の始まり」というアリストテレスの言葉が示しているように、「驚き」は人間を現状満足の停滞状態から前へと触発する起爆剤である。「驚き」は、驚異・奇跡・好奇・奇怪といったように、向かい合う対象の幅が広く、個人の視野を拡大させ、そのように種々に受け止める人間の感性を柔軟にさせる。しかしそれとともに、現状の正当性確認の装置としても機能してしまう。なぜなら「驚き」を欠いた現状が「まとも」であることを再認させてしまうからだ。従来、「驚き」の歴史は、未開・無知から啓蒙へといった単線的進歩史観か、マックス・ヴェーバーのいう「魔術からの解放」という近代化志向、はたまた人間の発見・解明努力を通じた真理の暴露過程、さらには文化格差による一方の文化から他方の文化の抑圧といったといった路線で語られることがほとんどであった。これに対して、博覧強記の科学史家ダストンとパークは、「世界の名著」といった正典化された書籍に基づく「驚き」の記述から逸脱して、これまで読まれず見過ごされてきたテキストを起点にして、退歩・進歩や中世・近代といった二項対立思考がまやかしであり、これらは九重八重に互い折り重なっていることを、多くの図像を用いながら説明する。また、16-17世紀の個人蒐集家や私設博物館を取り上げて、努力ではなく好奇からたまたま「本当」がわかってしまったという僥幸(いわゆるセレンデピティ)の連続を描写することで、「文化抑圧」があるとしても結果的にそうなってしまったのだと暗に諭す。グローバル化が進む21世紀において、多文化との接触が私たちに「驚き」をもたらし、その「驚き」にどのような種類があり、どのような反応が可能で、またその反応がどのような文化的営為と文化形成機能を果たしうるのかを、「驚き」の歴史を学ぶことで考えることにする。 | |||||
言語 | ja | |||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||
出版者 | ||||||
言語 | ja | |||||
出版者 | 名古屋大学オープンコースウェア委員会 | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
資源タイプ | ||||||
資源 | http://purl.org/coar/resource_type/c_e059 | |||||
タイプ | learning object | |||||
関連情報 | ||||||
関連タイプ | isVersionOf | |||||
識別子タイプ | URI | |||||
関連識別子 | https://ocw.ilas.nagoya-u.ac.jp/index.php?lang=ja&mode=c&id=303&page_type=index | |||||
書誌情報 |
発行日 2011-12-06 |
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著者版フラグ | ||||||
値 | publisher | |||||
URI | ||||||
識別子 | https://ocw.ilas.nagoya-u.ac.jp/index.php?lang=ja&mode=c&id=303&page_type=index | |||||
識別子タイプ | URI | |||||
URI | ||||||
識別子 | http://hdl.handle.net/2237/19472 | |||||
識別子タイプ | HDL |