WEKO3
アイテム
一九三〇年代の〈山岳文学論争〉を巡って
https://doi.org/10.18999/nagujj.104.59
https://doi.org/10.18999/nagujj.104.590472df72-824b-44ff-b2ea-96d7284978e5
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
---|---|---|
nagujj_104_59.pdf (1.5 MB)
|
|
Item type | itemtype_ver1(1) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
公開日 | 2023-05-19 | |||||||
タイトル | ||||||||
タイトル | 一九三〇年代の〈山岳文学論争〉を巡って | |||||||
言語 | ja | |||||||
著者 |
中村, 誠
× 中村, 誠
|
|||||||
アクセス権 | ||||||||
アクセス権 | open access | |||||||
アクセス権URI | http://purl.org/coar/access_right/c_abf2 | |||||||
内容記述 | ||||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||||
内容記述 | 一九三〇年代には山岳雑誌上で頻繁に「山岳文学」とはどうあるべきかという問題が論じられている。浪漫主義的な旧来型の山岳紀行文が行き詰まり、新たな表現方法が模索されたのである。こういう問題が提起される背景には、当時の山岳界が「探検登山」の時代を終え、次代の登山形態へと移行する過渡期にあったということがある。山岳文学の場合、文学としての表現以前に登山が前提となり、山岳文学はその行為と表現との相関の中で成立する。〈論争〉での種々の主張を〈文学志向主義〉と〈山岳優先主義〉の二点に整理し、一九三〇年代の文芸思潮も絡めて〈論争〉の意味と行方を考察した。 | |||||||
言語 | ja | |||||||
出版者 | ||||||||
出版者 | 名古屋大学国語国文学会 | |||||||
言語 | ja | |||||||
言語 | ||||||||
言語 | jpn | |||||||
資源タイプ | ||||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||||
出版タイプ | ||||||||
出版タイプ | VoR | |||||||
出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 | |||||||
ID登録 | ||||||||
ID登録 | 10.18999/nagujj.104.59 | |||||||
ID登録タイプ | JaLC | |||||||
収録物識別子 | ||||||||
収録物識別子タイプ | PISSN | |||||||
収録物識別子 | 0469-4767 | |||||||
書誌情報 |
ja : 名古屋大学国語国文学 en : Nagoya University Journal of Japanese Language and Literature 巻 104, p. 59-72, 発行日 2011-11-10 |